妊娠は胚盤胞の着床によって(つまり、受胎後5〜7日してから)開始します。
「妊娠」のこの定義は、受精が母親の胎外の細菌培養皿でなされ、その後で人工的に胎芽を女性の子宮内に入れる試験管受精法導入を正当化するために、作り出されました。明らかに、もし胎芽が女性の体内になければ、彼女はその用語の文字通りの、伝統的意味では「妊娠」していません。しかし、この人工的状態が女性の体内にある卵管で起こり、引き続いて卵管から子宮内に降りてきて着床する「正常な妊娠」の再定義を正当化できるわけではありません。普通の状態であれば妊娠は、着床でなく、受精の時点で始まります。以下にカールソンを引用しましょう。
ヒトの妊娠は卵子と精子の融合で開始します。しかし、この出来事に先立って膨大な準備がなされます。まず、男女の性細胞は、それらを遺伝的、表現型的に変化させて、受精過程に参加できる成熟した配偶子にする一連の長い配偶子生成の過程を経なければなりません。次に、配偶子は生殖腺から出て、正常な受精が普通起こる卵管上部に移動しなければなりません。最後に、厳密な意味で胎芽と呼ばれる受精卵は子宮に降り、母親から養分を受けるために子宮内壁に着床します。35 (下線は編集者による。)
モーニング・アフター・ピル、RU-486、避妊リングに中絶促進作用はありません。それらは避妊の手段であるに過ぎません。
もし、受精があったとすれば、モーニング・アフター・ピル、RU-486、避妊リング(IUD)には中絶促進作用があり得ます。受精があったのであれば、それらはすでに存在している人間である胎芽、つまり胚盤胞が着床するのを妨げます。もし、発達中のヒト胚盤胞の子宮着床が妨げられると、明らかに胎芽は死んでしまいます。実際に、これらの化学的、物理的避妊法は中絶法にもなっています。以下にムーアを引用しましょう。
避妊処置なしの性行為の直後に始まる、何日かにわたる比較的大用量のエストロゲン(モーニング・アフター・ピル)投与は、普通、受精を妨げるのでなく、しばしば胚盤胞の着床を妨げます。5〜6日間毎日大量に投与されるディエチルスティルベストロールも、分割しつつある受精卵の卵管通過を早める作用があるかもしれません普通、受精卵が形成され、卵割を始め、子宮に入るにつれて子宮内膜は月経周期の分泌促進状態に移ります。大量のエストロゲンは胚盤胞の着床を妨害します。胚盤胞の着床阻止を目的とする受胎後のホルモン投与は時として暴行を受けた場合とか、コンドームが破損した場合などになされます。しかし、この治療法は通常の避妊のためには禁忌とされます。「避妊ピル」であるRU- 486も、着床しようとしている受精卵のホルモン環境を乱す着床妨害によって受胎産物を破壊します膣と子宮頚管を経て子宮内に装着される避妊リング(IUD)も、普通であれば、部分的炎症を引き起こすことによって着床に支障をもたらします。(部分的炎症を起こさなくても着床に支障をもたらすことがあるとさえ言われます。・訳者)ある種の避妊リング(IUD)はプロゲステロンを少量ずつ放出して、着床が起きないために子宮内膜の発達に干渉します。36 (下線は編集者による。)
いわゆるモーニング・アフター・ピルについてムーアは以下を付け加えています。
【学生たちへの質問―2章#5】
#5妊娠しているかもしれないとと思っている若い女性が、いわゆる「モーニング・アフター・ピル」(性交後に用いる産児制限ピル)について、あなたに質問したとすれば、どう答えますか?このように早期の妊娠の中止は中絶と考えられるでしょうか?
【#5学生たちのための答え】
2章
#5性交後に用いる産児制限ピル(モーニング・アフター・ピル)は、緊急の場合(例えば性的暴行を受けた場合)には処方することが許されます。性交後72時間以内に投与される大量の卵巣ホルモン(エストロゲン)は、通常、おそらくその能動性を弱めることによって、また黄体の作用に干渉することによって、また子宮内膜の異常な変化の原因となって胚盤胞の着床を妨害します。これらのホルモンは受精でなく、着床を妨害します。従って、それらは避妊ピルと呼ばれるべきではありません。受胎はあっても、胚盤胞が着床しないのです。ですから、それらは「着床阻止ピル」と呼ばれる方がよりふさわしいということでしょう。なぜなら「中絶」という用語は妊娠を時期尚早に止めることを意味するで「中絶」という用語はこのような妊娠の早期中断に適用できるからです(532ページ)。
【学生たちへの質問―3章#2】ケース3−2
受胎可能期に性的暴行を受けた女性が、起こり得た妊娠を妨害するために、5日にわたって毎日2回大量のエストロゲンピルを投与されました。
−もし受精が起きていたとすれば、このホルモンがどのように作用したと思いますか?
−このような治療法を一般人はどのように呼ぶでしょうか?これはメディアで「中絶ピル」と呼ばれるものですか?もし、違うと思うのであれば、このホルモン療法がどのように作用するのか説明しなさい。
−妊娠が分かるのは何日目ぐらいからですか?(59ページ)
【#5学生たちのための答え】(532ページ)
ディエチルスティルベストロール(DES)は子宮内壁に作用して、エストロゲンとプロゲステロン両者間の微妙なバランスによって調節される着床を、困難にするように見えます。エストロゲンの大量投与はこのバランスを壊します。プロゲステロンは胚盤胞が着床して、養分を摂取できるように、子宮内壁を厚くし、水分を多く含ませます。一般の人たちはDESピルを「モーニング・アフター・ピル」と呼びます。メディアが避妊ピルと言うときに指すのは、普通、RU-486のことです。フランスで開発されたこの薬品は黄体によるプロゲステロン分泌を妨げることによって、胚盤胞の着床に干渉します。妊娠は高度に敏感な妊娠テストをすれば受精後2週目の終わりに分かります。ほとんどの妊娠テストは母親の血清中にある早期妊娠要因(EPF)の存在によるものです。早期の妊娠探知は超音波検査法でも可能です。
そして、内細胞層だけでなく、ヒト胚盤胞全体が受精卵状態の人間であるので、胚盤胞の外側にあるトロホブラスト層に「だけ」作用する化学的中絶剤の使用も中絶促進的になってしまいます。"[ピルの中絶促進効果については補遺を見よ・訳者]
着床まで、つまり受胎後14日経過するまで、そこにあるのは「胎芽以前の何か」「潜在的」胎芽もしくは「潜在的」人間でしかないのだから。胎芽研究、人間のクローニング、造血幹細胞研究、キメラ形成等は容認できます。本当の人間(子供)は実際には「胎芽以前の何か」が母親の子宮内で着床するまで存在し始めません。(避妊ピルにある中絶促進作用については神話15を見て下さい。―訳者)
こういう類の主張が、現在、生命倫理学者、研究に従事する科学者たち、薬品会社、その他生物工学研究を進める会社、国会議員たちによってなされています。しかし、こういうことも「科学的」神話でしかありません。
科学的に断言できるのは「胎芽以前の何か」というものなどがどこにも存在しないということです。これは事実7でも証明しています。その背景になる箇所で証明されたように、受精の直接産物は人間、胎芽、人間の子供、つまり受精卵です。受精卵は新しく存在を始めた、遺伝的に唯一無二で、遺伝的に男か女である一人の人間です。それは「潜在的」人間とか、人間になる「可能性がある」何かなどではありません。この発達中の人間は、それが人工的に母親の胎内に着床させられていてもいなくても人間、胎芽、人間の子供です。
受精とクローニングは二つの異なるプロセスですが、これらのプロセスの直接産物は同じです。クローニングの直接産物も人間の受精の産物と同じく人間でないわけがありません。それは「胎芽以前の何か」とか「潜在的」人間などではありません。造血幹細胞実験はその「造血幹細胞」を本質的には、科学的にすでに存在し始めている人間であるヒト胚盤胞である人間を破壊し、殺害することによって入手します。キメラ形成、つまり一つの種の配偶子(例えば人間卵母細胞)を別種(例えば猿)の卵母細胞で受精させると「半分だけ人間」である受精卵が生じます。この種の研究は世界のほとんどの国で禁止されています。この種の研究は本質的には受精卵の研究であり―そのための連邦基金の使用は禁止されています。
例えば先祖伝来のえらとか尾の形成期間のように、発達中の胎芽と胎児の初期段階期間があることは、それがまだ人間でなく、人間になる途上にあるこということの証明になります。それはすべての種の歴史的進化を単に繰り返しているに過ぎません。
この「科学的」神話は「潜在的」「可能性のある」「胎芽以前の何か」等の神話の焼き直しでしかありません。それは初期の胎芽に人間としての自己同一性とその人間としての存在を拒もうとする試みです。しかし、ここでもう一度オライリーを引用しましょう。
個体発達(個体発生論)の連続的段階説は進化論的降下における連続的な成人の先祖(系統発生論)に対応する(繰り返す)とする学説は19世紀にいわゆる生物発生の法則として盛んになりました。しかし、この発生反復説は「胎生学の進歩に遺憾な影響を」及ぼしています(デ・ビーアから引用)。さらに、その発達中に動物は他の動物の成熟した姿とは似ていず、むしろそれらの動物の発達初期段階に似ています。38ト
ですから、発達中の胎芽もしくは胎児は「魚」とか「蛙」ではなく、以上証明されてきたように、無条件に人間です。
人格がいつから始まるかは科学的問題であるというより、哲学的問題です。ですから、わたしはこの問題に関してここで詳しく立ち入ろうとは思いません。39 しかし「個性」は人間が存在し始めるとき、つまり受精の時点で始まります。しかし、生命倫理で現代流行の「個性」の主張も神話的科学に基づいているものでしかないので、これらの哲学的(時としては神学的)主張が科学的に正確であるかどうか調べるため、簡単に触れておくのは有益でしょう。
哲学的に、いわゆる「遅れて発生する個性」、つまり「個性」は受精後しばらく経過するまで発生しないとする説、のほとんどどのような主張も、身体と精神の分割が現実世界に対応していたり、それを反映したりするという概念とか考えを受け入れるという理論的大失敗を内包します。歴史的に、この問題は単に、現実に関する間違った考え方から生まれたものでしかありませんでした。ですから、この考え方は昔からまったく擁護不可能であったし、現在でもそうであり続けます。この考え方はプラトンの時代の後に見捨てられるようになり、主張していた人々は大恥をかくことになります。(プラトン自身もパルメニデスの中でそれを否定しています。)ところが、残念なことに、例えばデカルトのMeditationes de prima philosophiaとか、現代の生命倫理で、それが時々再浮上するのです。40 そして、人間がいつ人間であり始めるかの問題のように、もしこれらの哲学的「個性」論証を根拠づけるために使われた科学が不正確であれば、(その不正確な科学に基づく)これらの論証の結論もまた不正確であり、無効であるということになります。
おそらく人間は受精の時点で始まるが、人格は双生児化が不可能になる14日までは存在し始めません。
神話12のこの特異な論証は、マッコーミックとグローブシュタイン(および彼らの多数の追随者たち)によってなされています。それは「胎芽以前の何か」は発達中の個体ではない、従って双生児化が不可能になる14日後までは人格ではない、という彼らの生物学的主張に基づいています。しかし、本論で「胎芽以前の何か」などというものが存在しない、また、胎芽は受精の瞬間に「発達中の個人」としてその存在を始めることはすでに科学的に証明済みです。それだけではありません。双生児化は14日過ぎてからでも可能です。このように、純粋に科学のレベルでこれらの生命倫理学者たちによって推進された「個人」の主張は無効になり、擁護不可能になります。
人格は思考と感情を支持するのに必要な生理学的組織である「脳の発生」、原初的神経系統形成、または皮質形成で始まります。
このような主張はすべて純粋に思考上の推測であり、科学的データに哲学的(または神学的)概念を押しつけてできた産物に過ぎず、それらを裏付ける科学的証拠に欠けています。あの高名な神経学研究者のD・ガレス・ジョーンズが簡潔に説明しているように「脳死」と「脳誕生」間の比較は科学的に無効なのです。「脳死」は漸次的もしくは急速な脳機能停止です。発達中の神経組織は脳ではありません。彼は、実に、その推定全体を疑問視し、意識不明の状態がこの点を通過すると意識可能な状態になると結論する背景には、どのような神経学的理由があるのかを問いかけます。ジョーンズはさらに、主張されている対称性は時として想定されているほどは強くなく、確固とした生物学的基盤がなければならないと続けます。41
「人格」は(例えば思考、意志決定、選択、自意識、周辺世界への関係などの)「理性的特性」、そして/もしくは(例えば苦痛と快楽を感じることのように)「知覚」の能動的行使の点から定義されます。
再度、これらは科学的データに不法に押しつけられた哲学的用語もしくは概念です。科学的事実はと言えば「理性的特性」と「知覚」両方を生理学的に支持するはずの脳は思春期になるまでは、実際、完全には発達しないのです。ムーアを引用しましょう。
人間の発達を誕生の前後で分けるのは普通ではありますが、誕生は環境変化を伴う、発達途上の一つの劇的出来事であるに過ぎません。発達は誕生で止まるのではありません。成長に加えて(例えば歯が生えるとか、女子であれば胸が膨らむなどの)重要な変化が誕生後にあります。誕生と16歳になった時点では脳の重量は3倍に増加します。そして発達によるほとんどの変化は25歳で止まります。42 (下線は編集者による。)
もし「人格」を、実際に「理性的特性」と「知覚」の行使の点からだけ定義すれば必ず起こってくる論理的―そして現実的な―結末についても考察するべきでしょう。知能障害のある人、鬱病の老人、アルツハイマーとかパーキンソン病の患者、薬物中毒症の人、アルコール中毒症の人―そして例えば昏睡状態にある人「植物人間」、両側麻痺の患者、その他麻痺があって動きが不自由な人、糖尿病の人、または神経とか脳に障害のあるその他の患者たちのように限定された「知覚」しかない人たちにとって、これは何を意味することになるのでしょうか? このような人たちは人間ではあっても、人間ではないとも考えられるのでしょうか?このような人たちは人格であると考えられる成人した人間と同じ道徳的、法律的権利を持たないことになってしまうとでも言うのでしょうか?本当に、人間と人格の間にはこのような「分裂」があるのでしょうか?
実際、これは、例えば最近プリンストン大学ヒューマン・ヴァリュー・センター所長に任命されたオーストラリア人で、動物の権利を主張する哲学者ピーター・シンガーのような生命倫理学者の立場なのです。43 シンガーは、例えば犬、豚、類人猿、猿のような高等霊長類は人格ではあっても、正常な人間の幼児、傷害のある大人の人間は人格ではないと論じるのです。同僚である生命倫理学者のノーマン・フォストは実際に「知覚傷害のある」大人の人間は「脳死状態にある」と考えるのです。哲学者/生命倫理学者のR・G・フレイも先述のリストに含まれる多くの大人の人間は「人格」ではない、44 とその著書で主張します。さらに単純に生命を奪うことになる実験的研究では「人格」である高等霊長類の代わりにそのような人間を代用するよう提案しています。
思想は、個人の生活においてのみならず、政府の政策の中にも具体的結果を伴います。そして政府による政策に一つの定義が受け入れられると、その論理的延長は、たとえそれが無効であっても、他の多くの政策に適応されます。生命倫理学でよくあるように、それらが同じ問題でなくても構わないでのです。このようにして「人間」とか「人格」の定義は中絶に関する論争の中で固定化し、それは例えば胎芽研究、クローニング、造血幹細胞研究、キメラ形成、中絶促進剤使用、そしてさらには脳死、脳誕生、臓器移植、栄養分と水分補給停止、精神病者もしくは精神障害者を実験材料として利用する研究など、他のいくつかの分野にまで広がってしまいました。しかし、個人的選択であれ、国家の政策であれ、可能な限り健全で正確な科学を取り入れなければなりません。わたしが指摘しようとしたのは現代行われているこれらの論争で、個人的選択も国家政策も客観的な科学の事実でなく「科学的」神話に基づいているという事実です。