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死刑ニュース

死刑「21世紀に居場所ない」=国連総長、廃止呼び掛け
2016年の世界の死刑件数は前年に比べ37%減少した。事務総長は「死刑は犠牲者に報いることも、あるいは犯罪を抑止する効果もほとんどない」と主張。国連加盟193カ国中170カ国が死刑を既に廃止または停止していると訴えた上で「野蛮な慣習を続ける全国家が死刑をやめるよう願う」と呼び掛けた。

青酸不審死、筧被告に死刑求刑「まれにみる凶悪な事件」
被告は、夫や交際相手の男性に対する殺人3件と強盗殺人未遂1件の罪で起訴された。起訴状などによると、2007年12月〜13年12月にかけ、遺産目的や預かったお金の返済を免れる目的で夫の勇夫さん(当時75)や、交際相手の本田正徳さん(同71)、末広利明さん(同79)、日置稔さん(同75)に青酸化合物を飲ませて殺害、または殺害しようとしたとされる。

「犯人は埼玉に」偽装 宮崎勤元死刑囚の供述詳細が判明 幼女連続誘拐殺人事件
裁判記録や複数の関係者によると、宮崎元死刑囚は動機について、「子供が欲しかった」と話し、大人の女性に相手にされなかったが、誘拐することで子供を持つことができると思ったとして4人の幼女を誘拐。「(遺体を)そばに置いている間は自分のものになる」と語ったという。

被害者支援と死刑廃止で異論も 人権擁護大会
日弁連の死刑廃止宣言を疑問視する弁護士100人以上が中本和洋会長宛てに「犯罪被害者支援に携わる弁護士の活動を阻害しかねない」とする質問状を提出。中本会長は「死刑廃止の活動は生命権尊重の立場から。犯罪被害者支援は社会全体の重要な責務」と回答している。

「神への冒涜」禁止法は世界71カ国に存在、米委員会が報告
冒涜禁止法が存在する国のうち、禁錮刑が指定されているのは86%。預言者モハメッドの冒涜に対し死刑を明文化して指定しているイランとパキスタンは「最悪」にランク付けされた。

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死刑の本

いのちの福音

人工妊娠中絶や安楽死など人間のいのちを軽んじる行為が合法化されようとしている現代社会の中で、神のかたどりである人間のいのちを尊重し、守り、愛することの大切さを、聖書や教会の伝統的な倫理観に基づいて訴えています。
[カトリック中央協議会出版部]

読んでください

医師として僧侶として

Tanaka Masahiro タナカ マサヒロ
私は寺で医療を行っている。それで全日本仏教会から推薦を受け、ローマ教皇庁医療国際会議に計4回招待された。 そこで仏教の立場を発表するとともに、他宗教の状況を知る機会を得た。この会議では、 毎回異なる重要な医療関連のテーマについて、 広い分野から30名くらいの専門家が講演を行う。実質的には医療に従事するカトリック宗教者の勉強会といえる。 ローマ教皇庁関連の医療機関は世界中に10万8千もある。会議は3日間で、 約80ヵ国から800人くらいが参加している。

死刑制度の存廃をめぐって

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
来年5月に始まる裁判員制度を前に、わが国における死刑制度の存廃が改めて問われているが、 圧倒的多数の死刑存続論にかんがみ、仮釈放のない「終身刑」を創設する超党派の動きが加速しているという( 朝日新聞6月5日)。では、カトリック教会は死刑制度について何を指摘しているのだろうか。

「赦(ゆる)す」ということ

Nakasone Masanori ナカソネ・マサノリ
僕は今のところは死刑制度に賛成である(今のところは・・)。しかしこの賛成は、かなりためらいながらの賛成である。

衰えぬ人命軽視の風潮
どうすれば繰り返される殺人の悲劇を克服できるか

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
「なぜ人を殺すのか分からない」と、ある連続殺人事件を追う佐木隆三氏は毎日新聞で語っていた。殺人犯の心理が推測しがたいというのである。それほどに、人が殺し合うのには何か奥深い秘密があるということでもあろう。その秘密を聖書は明らかにしている。特に創世記はアダムとイブの罪に続いて、その息子たちの間に起きた兄弟殺しについて語っている。つまり、人間の罪によって倫理的な秩序が乱れ、人の心に矛盾が生じて、善と悪との葛藤が始まったのである。この矛盾を克服しない限り、真の平和はこの世に訪れることはないであろう。ではその対策は。

死刑は間違いだろうか?

Saunders, William サンダース・ ウィリアム
実際、極刑の是非は非常に難しい問題である。カトリックである私たちは、人のいのちを尊いものだと考えている。同時に、社会を安全で平和な場所として維持するために、遺憾ながら犯罪者のいのちを奪わなければならないこともある。社会秩序を守るために、私たちは戦争に行き、自分のいのちを守り、そして犯罪を抑止する。極刑を巡る問題は重大であり、私たちは、正義を維持するために常にこの問題に向き合っていかなければならない。善良なカトリック信者は、一信者として、また一市民として、これらの問題に対峙し、正義を守るために最善な方法を考えていくべきである。

正義にいたる真の道

Chaput, Charles シャプー・チャールズ
死刑は、私たちの文化向かう方向について私たちが抱く他のもっと深い心配を和らげるために飲むもう一つの薬にすぎないのです。処刑は一時的に、症状(神の前では名前とそれ自身のストーリーを持った症状)のいくらかは、取り去るかもしれませんが、その根底にある、人間のいのちを軽視するという今日の病気は残り続け、さらに悪化するのです。

殺人者を殺しても解決にはならない

Chaput, Charles シャプー・チャールズ
究極的に文化は、それぞれの人間のいのち、特に重荷であるとか、取るに足らないとか、価値がないとか思われるいのちにも価値があって、その道徳的特徴を定義しているのです。

「今日、救いがこの家を訪れた」

Cariino, Al カリノ、アル
私たちがイエスの呼びかけに応えるとき、すでに判決をうけた人々からみれば特に、私たちの会話は「罪深い者」と疑いの目で見られることでしょう。しかし、そんなこと気にしないようにしようではありませんか。ザアカイが気にもとめなかったように。大切なことは、イエスの私たちへの語りかけを聞くことであって、イエスが私たちの家に泊まりたいとの声に応えると、イエスはザアカイに言われたと同じように「今日、救いがこの家を訪れた」と言われます。

二人の息子と帰郷

Cariino, Al カリノ、アル
子供は父親に背いた時、どんなことをするでしょう?まず、父親を避けます。もしこれができなければ、特に母親など、第3者がいることを確認します。怒りに直面した時には、子供は無言作戦をとったり、これがうまく行かない場合には、あらかじめ準備しておいた答えを使います。ふつうは誰か別の人のせいにする、という方法です。一方で父親は子供が自分の非を認めれば、自分はすでに許しているんだよということを言うことができるのに、と思っています。この父親の態度を「許しの父親のたとえ話」として多くの人に親しまれている「放蕩息子」(ルカ 15:1-3;11-32) に見ます。

いのちの福音
Evangelium Vitae

Documents,Official ドキュメント,公文書
第二バチカン公会議は、人間のいのちに対する多くの犯罪と攻撃を強く弾劾しました。その妥当性は今日も変わりません。公会議から三十年後、わたしは公会議の言葉を再び取り上げ、公会議と同じ強さをもって全教会の名においてあの弾劾を繰り返します。わたしは、あらゆる公正な良心の真の意見を代弁していると確信します。「あらゆる種類の殺人、集団殺害、堕胎、安楽死、自殺などすべて生命そのものに反すること、傷害、肉体的および精神的拷問、心理的強制などすべて人間(ペルソナ)の十全を侵すこと、人間以下の生活条件、不法監禁、流刑、奴隷的使役、売春、人身売買などすべて人間の尊厳に反すること、また労働者を自由と責任のある人間(ペルソナ)としてではなく、単なる収益の道具として扱うような悪い労働条件など、これらのすべてと、これに類することはまことに破廉恥なことである。それは文明を毒し、そのような危害を受ける者よりは、そのようなことを行う者を汚すものであって、創造主に対するひどい侮辱である」

死刑の一時停止支持

Lama, Dalai ラマ・ダライ
死刑は予防の機能を果たしていますが、それはまたあきらかに復讐のひとつの形態でもあるのです。死刑は、あまりにも決定的なので、特に厳格な罰の形態です。人間のいのちが終わらせられ、処刑された人は、自分を矯正したり、与えられた損害を修復したり、その償いをしたりする機会を奪われてしまうのです。

未完成を嘆く

Rolheiser, Ron ロルハイザー・ロン
私たちの信仰は、それらのものを管理する道具を、与えるものでなければなりません。そして自分たちが不完全なものとして生きて死んでゆくという事実を、悟させるようなものでなければなりません。淋しくて、いつも何かを待って、そして最後に私たち人間は1人で眠りにつくのです。私たちはそれらのことを受け入れて生きて行かなけ ればなりません。もしそうするならば、余裕をもってまた幸せな生き方ができるでしょ う。そうしないのなら、自己中心的なままなのです

正義にいたる真の道

Chaput, Charles シャプー・チャールズ
死刑は、私たちの文化向かう方向について私たちが抱く他のもっと深い心配を和らげるために飲むもう一つの薬にすぎないのです。処刑は一時的に、症状(神の前では名前とそれ自身のストーリーを持った症状)のいくらかは、取り去るかもしれませんが、その根底にある、人間のいのちを軽視するという今日の病気は残り続け、さらに悪化するのです。

全てのいのちは価値があるという教会の教え

Flynn, Harry フィリン・ハーリ
死が、こんなにも広まり、意図的に選択され、人間の問題を解決するための必死の試みとなっているこの文化においては、暴力に対抗し、犯罪を容赦しないための最良の手段として死刑を奨励することは容易なことです。

「赦(ゆる)す」ということ

Nakasone Masanori ナカソネ・マサノリ
僕は今のところは死刑制度に賛成である(今のところは・・)。しかしこの賛成は、かなりためらいながらの賛成である。

死刑制度の存廃をめぐって

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
来年5月に始まる裁判員制度を前に、わが国における死刑制度の存廃が改めて問われているが、 圧倒的多数の死刑存続論にかんがみ、仮釈放のない「終身刑」を創設する超党派の動きが加速しているという( 朝日新聞6月5日)。では、カトリック教会は死刑制度について何を指摘しているのだろうか。

衰えぬ人命軽視の風潮
どうすれば繰り返される殺人の悲劇を克服できるか

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
「なぜ人を殺すのか分からない」と、ある連続殺人事件を追う佐木隆三氏は毎日新聞で語っていた。殺人犯の心理が推測しがたいというのである。それほどに、人が殺し合うのには何か奥深い秘密があるということでもあろう。その秘密を聖書は明らかにしている。特に創世記はアダムとイブの罪に続いて、その息子たちの間に起きた兄弟殺しについて語っている。つまり、人間の罪によって倫理的な秩序が乱れ、人の心に矛盾が生じて、善と悪との葛藤が始まったのである。この矛盾を克服しない限り、真の平和はこの世に訪れることはないであろう。ではその対策は。

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