イトナガ・シンイチ Itonaga, Shinnichi

Articles at Lifeissues:

あるシングルマザーのうぬぼれ

先日、テレビのチャンネルを変えていたら、精子バンクを利用して子供を産んだアメリカの、あるシングルマザー( 未婚の母)のインタビュー番組が目に入った。まず驚いたのは、精子バンクという商売が繁盛していること。 さらに驚いたことに、そのシングルマザーは言ったのである。「精子バンクを使えば後腐れがない。 自分独りで自由に子育てができる」と。後腐れとは何たる暴言、独りで育てるとは何たるうぬぼれ。一言、 世に警告を発せざるを得ない気分になった次第。

「ゆるし」を体現した人の物語

このほど、今評判になっている本、『生かされて。』を一気に読んだ(イマキュレー・イリバギザ著、PHP、2006) 。十年余り前、アフリカのルアンダで吹き荒れた民族浄化の大量虐殺の時代、両親と兄弟二人を奪われた中で、 肉親への愛情と共に、これに反比例するかのように繰り返し沸き起こる憎しみと復讐の情念に打ち勝って、「ゆるし」 というキリスト教の恵みを文字通り身を持って体現した一人のカトリック信者の物語である。 彼女が神のゆるしに与って救われたということは、彼女が真にカトリック信者としての教養を身に着けていたと同時に、 本書の中で彼女自身が言うように、深く長い祈りの中で神の愛に触れたためだと思うのだが、このゆるしのゆえに、今、 本当に平和であり幸せであると彼女は断言している。

「美しい国」と「愛の文明」

安倍首相の「美しい国」という表現には正直驚いた。しかし、考えてみれば、なかなか面白い発想であり、 検討に値すると思う。これに対する教会の見方は何であるかとの質問もあるので、わたしの意見を述べてみたい。

人間は神を知ることができるか?

前回見たように、人間は神に向けて造られているから、多くの人が神を信じて生きていると思われる。しかし、物質文明華やかな現代は神を信じて生きることの難しい世の中でもある。現代人は果たして神を知ることができるのか。

「貧しさ」、キリスト教のキーワード

キリスト降誕の神秘的な夜、天使たちは羊飼いたちに告げて言った。「恐れることはない。わたしは、 すべての民に及ぶ大きな喜びの訪れをあなた方に告げる。きょう、ダビデの町に、あなた方のために、 救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなた方は、うぶ着にくるまれて、 飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見るであろう。これがしるしである」(ルカ2,10-12)。

人間の真実と幸福はどこに?

どのような形であれ、幸福を求める人間は「神を渇望する」存在であると言えよう。 真の幸福は神のうちにのみあるからである。問題は、神を求めていながら神を知らないことであり、 自分が求める幸福が神のうちにあることを知らないことである。

少子化論の現状とその盲点

少子高齢化が叫ばれて久しい。そして、高齢化対策ばかりでなく、少子化対策についても多くが語られ、 その対策も国や民間によって数々進められてきたが、いまだにその成果は上がってはいないようだ。

“働きたくない者は、食べてはならない”

「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝し合う」国民の祝日・勤労感謝の日に思いを致し、また、最近の労働事情、 たとえば生活保護不正受給問題などを考えているうちに、「働きたくない者は、食べてはならない」 という聖パウロの言葉を思い出した。

増え続ける“児童虐待”事件

さる9月6日に警察庁が発表したところによれば、今年上半期(1〜6月) に事件として対応した児童虐待は昨年同期比62%増の248件で、統計がある2000年以降では最多であるという。

いじめに負けない子を育てる

さきに(8月25日付)、「いじめない子を育てるために」、隣人を尊重する良心の形成について論じたが、 今回はもう一つの観点、すなわち「いじめに負けない子を育てる」にはどうしたらよいかについて論じたい。

いじめをなくするために何が必要か

大津の中学生の自殺とその原因とみられるいじめの問題が、その原因や事後処理の追求で様々な議論が繰り広げられたが、いじめや自殺の真の原因究明には程遠い気がする。いじめや自殺の歯止めは何なのか、あらためて考えてみよう。

悔い改めて「愛」を待つ季節

カトリック教会ではクリスマスまでの4週間を“待降節”としている。それは神の子キリストの来臨を準備して待つ季節で 、それは、「悔い改めて神の愛を待つ季節」である。キリストは「人間となった神の愛」であり、 受け入れるには回心が必要だからである。

結婚と家庭は神が定めた制度

第2バチカン公会議(1962-65)は現代世界憲章の第2部で、「若干の緊急課題」として結婚と家庭、文化、 経済社会、政治共同体、そして平和の問題を取り上げて論じている。今回は「結婚と家庭」の問題を取り上げる。

世界平和は一人ひとりの心に始まる

今年も世界平和について考える季節がやってきた。平和といえば、いきなり国際平和や戦争自体を考えがちだが、 平和は一人ひとりの心に始まる。心の平和という基礎の上に世界平和を築くことも忘れてはならない。

「神聖にして侵すべからず」

教皇の平和の日メッセージを読み、人のいのちの尊厳を考えながら世界を眺めると、戦争やテロ、デモや弾圧、中絶や虐待 、他殺や自殺など、そこは人命の軽視や侵害に満ちていた。そして標記のフレーズが脳裏に浮かんだ。

無縁社会から共同社会へ

過ぎた2010年を振り返って、一番心に残っているのは社会生活の根幹にかかわる「無縁社会」の問題である。 昨年1月31日のNHK/BSテレビ番組「無縁社会 “無縁死”3万2千人の衝撃」は文字通り衝撃的であったが、 その取材記録が11月15日、「中間報告」として出版された。そこで、この現象をどう見るか、あらためて考えたい。

子育ての意義を考えるチャンス

「子ども手当」や「高校授業料無償化」がいよいよ現実化しそうである。この際、 この画期的な企てが何を意味するかを考える機会にしなければならないと思う。なぜなら、現代の家庭は、 社会と文化の急激な変化のあおりを受けて危機に直面しているからである。

臓器提供は人間愛の行為

さる7月13日、参議院本会議において、臓器移植法改正案(いわゆるA 案)が可決され、成立した。これによって、わが国では脳死が一律に人の死とされ、また本人の意思が不明な場合は、 家族の書面による同意があれば、臓器移植が可能となり、15歳未満の臓器摘出と移植も容認されることになる。

真に幸福な人間とは誰か

10月ともなれば、南国鹿児島にも秋が来て、わが家の庭の木々の落ち葉かきに忙しくなる。ひらひらと舞う落ち葉の一つにも人生の無常を感じ取る仏教徒ならずとも、やはり秋は人生の終末を想い、本当の幸せはいずこにと問う季節である。

家庭本来の機能回復が急務

このところ、メディアは連日、朝から晩まで自殺や殺人のニュースやその続報でもちきりである。聖書を見れば、殺人は世の初めからあったもので珍しくもないが、文明開化の現代においてもなくならないのがむしろ問題である。直接の理由はいろいろあると思われるが、その背景に何があるのか。

死刑制度の存廃をめぐって

来年5月に始まる裁判員制度を前に、わが国における死刑制度の存廃が改めて問われているが、 圧倒的多数の死刑存続論にかんがみ、仮釈放のない「終身刑」を創設する超党派の動きが加速しているという( 朝日新聞6月5日)。では、カトリック教会は死刑制度について何を指摘しているのだろうか。

ヒューマン・エコロジーの問題

「人はすべての家畜、空の鳥、野のすべての獣のそれぞれに名をつけたが、人にふさわしい助け手は見つからなかった」( 創世記2:20)。人間のふさわしい助け手は人間しかない。しかし現在、互いが助け手となる「人間相互のかかわり」、 つまりヒューマン・エコロジー(人間環境)、ソーシャル・エコロジー(社会環境)に異変が生じている。

「いのちの聖域」への生殖医療の介入新事情

旧ろう30日付の朝日新聞は、「卵子で遺伝子一括診断 数千種類の病気 精度9割以上」の見出しで新しい生殖医療を米 ・中の大学が開発したと報じた。結婚した夫婦だけに保留された“いのちの聖域”への医療技術の介入新事情である。

「助けての言えない」閉ざされた社会

「2009年10月7日のクローズアップ現代『“助けて”と言えない-いま30代に何が-』の放送後、私たち取材班を待っていたのは予想外の反響の広がりであった」。「他人事ではない」「明日はわが身」といった多くの若者からの反響のことで、単行本を出した番組取材班の言葉である。

家庭は「社会の生きた細胞」

東北大震災や福島原発事故を契機に家族のきずなの重要性が改めて認識されることになったが、 その一方で相変わらず家庭の崩壊が進んでいる。わが国の将来を考えるとき、家庭の健全化のための努力は欠かせない。 では、家庭とは何か。

所在不明高齢者を生む個人主義社会

このところ、所在不明高齢者の問題がにわかにクローズアップされてきた。調査が進むにつれ、 ますます深刻な事態になっている。これは、直接的には家族や役所の問題であるが、なぜこんな問題が起こったのか、 そもそもの原因を追求することも重要である。

「命の私物化」という語を読んで

「命ってちょっとの間与えられているというか、誰もが借りているだけ、という気がしているんですね。だから、 いつか返す時が来る。ところが、ついこれは俺の命、って所有化しちゃうでしょう人間は。命を私物化すると「返さーん」 とこだわりがでてくる」(文芸春秋誌3月号)

「無縁社会」と家族共同体の再建

去る1月31日夜のNHK/BSテレビ番組「無縁社会」は実にショッキングなドキュメンタリーであった。 2008年には、無縁死して遺体の引き取り手がなく、無縁墓に納められるケースが年間三万二千件に上ったという。 この驚くべき実態の原因と対策は何か、あらためて考えてみたい。

「新型出生前検査」をめぐって

「胎児の状態を知る『新型出生前検査』の臨床研究と応用をめぐる議論が盛んだ。この検査は、 妊婦の血液から胎児の特定の染色体の状態を知ることができ、 これまでの検査よりも妊婦の身体的負担が少ないことと検査精度が高いことが特徴である」

iPSから生殖細胞、是か非か

さる7月22日の朝日新聞の『耕論』欄に、「iPSから生殖細胞」と題して、「 あらゆる細胞や組織になりうるiPS細胞から、ヒトの生殖細胞(精子や卵子など)をつくる研究が始まっている」として 、3人の識者の意見を掲載していた。

愛によって、愛のために

金融バブルの破綻によって生じた世界同時不況の中で、多くの貧民層がその被害を受けたが、 こうした困難の中で人の情けもまた顕著になったような気がする。 企業の社会倫理を主張して起こされる社会企業の話はもとより、民間に見られる善意や愛の行動は、 マスコミに現れるものとは比較にならぬほど豊かに行われているのではないか。 今回はこの善意や愛のルーツに思いを馳せたい。

医療の限界と人間の希望

身体の医療は重要であるが、そこには様々な制約や限界がある。しかし、キリスト教信仰は「究極の健康」と「いのちの開花・充満」を約束する。

万能細胞と生命倫理

再生医療のために身体的のあらゆる部分になる可能性を持つ万能細胞(幹細胞)の開発が待たれてきた。そんな中、昨年11月、京都大学の山中伸弥教授らの研究グループが、待たれながらも期待薄であった受精卵を使わないiPS細胞(人工多能性細胞)を作ることに成功したという発表は、朗報となって世界中に大きな反響を呼び起こした。その大きな反響の主たる原因は何であろうか。

東日本大震災と「いのち」の神秘

物資文明の豊かさを享受してきた日本人は、突如襲ってきた大震災によって人間のはかなさをあらためて思い知らされた。しかし同時に、人間のいのちをいとおしむ心もまた強く意識されたのではないか。そこで、いのちとは何か、その神秘を考えてみよう。

人間共同体の危機とその対策

「結婚しなくてもいい」70パーセント、「子ども要らない」最高42パーセント、「一人暮らし」全世帯の34.4パーセント、「孤独を感じる」15歳29.8パーセント、09の年間自殺者三万人超。これらは昨年の暮れあたりから新聞に出てきたフレーズの数々である。「人間共同体の危機」を感じさせる。
これにどう対処すればよいか。

人類は一つの家族

毎年、1月1日はカトリック教会が設定した「世界平和の日」である。教皇ベネディクト16世の2008年「世界平和の日」メッセージは、「人類という家族―平和の共同体」をテーマとして発せられたもので、平和であるべき世界の基本的な理念を表明した極めて重要な問題提起である。かなりの長文で濃密な内容なので、ここには問題提起の意義を指摘しておきたい。

生命の始まりについて

カトリックの影響が強いドイツでは、法律で胚の作製や研究利用を厳しく規制しているが、(中略)わが国には、こうした大原則はない。科学技術の進歩を後追いする形での法や指針があるだけだ。この機会に、宗教や哲学、科学などの学問の垣根を越えた幅広い英知を結集し、国民の合意を得るべく公開の場で「人」の始まりや終りを論じてみてはどうだろう」。

自殺防止にはキリスト教が一番

東日本大震災はあまりにも衝撃的であった。日本人がひたすら信じてきた「成長神話」も、それを支えてきた科学技術も、自然の猛威の前に無力を証明してしまった。この惨事を目のあたりにして、山積していた日本の課題が忘れ去られてしまった。

試練に耐えて、頑張れ日本

大きな漁船が軽々と陸地に運ばれ、車や民家が木の葉のように押し流される光景をテレビで見て思わず息をのんだ。3月11日の東日本大震災である。震災によって引き起こされた福島第一原発の事故は放射能汚染の恐怖を拡散している。

自殺防止の決め手はあるか

ある日の昼のニュースで「過労死・過労自殺に関する電話相談」が行われていることが報じられていた。そういえば、先般の警察庁の発表によると、昨年の自殺者は全国で3万2千155人に達し、9年連続で3万人を越えているという。それに、生徒や学生の自殺も増え、統計を取り始めた78年以降で最も多くなったという。

子どもは親だけの責任ではない - こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)が提起したもの

こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)の運用が始まった。赤ちゃんポストについては反対論や慎重論もかなりあったが、賛成論が次第に大勢を占めるようになったという。今度の企ては、いのちの尊厳や、子育てに困難を背負う孤立した母親たち思い出させ、子どもたちの養育を引き受けたいという善意を呼び覚ましたから、まさに摂理的であったといえる。

衰えぬ人命軽視の風潮

「なぜ人を殺すのか分からない」と、ある連続殺人事件を追う佐木隆三氏は毎日新聞で語っていた。殺人犯の心理が推測しがたいというのである。それほどに、人が殺し合うのには何か奥深い秘密があるということでもあろう。その秘密を聖書は明らかにしている。特に創世記はアダムとイブの罪に続いて、その息子たちの間に起きた兄弟殺しについて語っている。つまり、人間の罪によって倫理的な秩序が乱れ、人の心に矛盾が生じて、善と悪との葛藤が始まったのである。この矛盾を克服しない限り、真の平和はこの世に訪れることはないであろう。ではその対策は。

いのちの神秘とその召命

いのちは神秘である。そして、いのちの神秘の解明は有史以来、人類の根本的な課題であった。そのいのちが、今日も、さまざまに脅かされ、虫けらのように殺害されている。だから、あらためていのちの神秘と召命について根底から問い直さなければならない。

「いじめ自殺」が残した教訓

昨年もいじめや虐待死など、幼児・児童・生徒にまつわる悲しい事件が相次いだ。いじめは昔からあったが、その後の報道によれば、いじめの実態はかなり深刻で、全国に広がっているという。あらためて、いじめ自殺からいくつかの教訓を引き出してみたい。

家庭の教育的役割とその危機

いま、教育に関する議論が盛んである。学校崩壊や教育崩壊の言葉が飛び交い、教育のひずみやゆきづまりが心配されているのである。そこで今回は、教育再生の鍵であると思われる家庭の教育的役割とその危機について、日ごろ思うところを述べてみたい。

あらためて問う、胎児は人間か

さる2月、この欄で「オバマ大統領、妊娠中絶を容認」と題した記事を公開したが、これに対していくつかのご意見をいただいた。人工中絶を選択する女性に対する同情と同時に、厳しい倫理を押し付けて自分は何もしないとして教会を非難する言辞が中心であったように思う。人工妊娠中絶についてこれを容認する意見があることはわたしも助ェ承知しており、あえて反論するつもりはないが、もう少し教会の立場を説明しておきたいと思う。

オバマ大統領、妊娠中絶を容認

オバマ大統領は23日、妊娠中絶を支援する団体への連邦予算の拠出制限を解除する大統領令に署名した。これに伴い、保守派が「中絶に使われている」と主張してブッシュ前政権時代に中止されていた国連人口基金への予算拠出も、再開する意向を表明した」(見出しを含め、朝日新聞ネットニュースから)。ニュース記事は続ける。「オバマ氏は声明で、この問題について「政治問題化に終止符を打つ時だ。家族計画に関する新鮮な論議をし、世界の女性のためになる一致点を見出す」としている。保守派の反発をあおらない意図から、大統領令への署名は公開されなかった。キリスト教保守派の指導者からは「世界の胎児への拷問を輸出する命令だ」と反発の声があがっている」。