完全には補い合えない同性愛行為

リヴィオ・メリーナ
L'Osservatore Romano, 11 June 1997

同性愛行為には、『かけがえのないお互いを与え合う』一体感において欠落した部分がある。互いの性の違いの上に成り立つ男女間の結婚における性行為において、子孫をつくるという共通目的のもとに『一体』となった時のみ、人と人は完全に補い合える。互いが異なる存在であるがゆえに愛の行為が完結されるという確信のもとに、自分を与え相手を受け入れられるからである。神から授かった体を委ねることで、人は他者への思いを表現する。ふたりの人間の出会いは、互いの性の尊重が基本となる。つまり、自分を与え相手を受け入れ、同意のもとに心身一体となって愛の行為を完成させる。

だが、同性愛行為では、自己を与え他者を受容する事が、真の意味では行われていない。完全には補い合えず、お互い自分本位となり相手に触れる行為で快楽だけを求めがちである。しかも、幻想の中で愛を膨らませ、取りつかれたように相手を求め、常に心が飢えた状態にある。相手は完全な『他者』ではなく、相手がどこか自分の分身のような、自分自身を鏡で見ているような、そんな孤独さの中で出会いを求めている。同性愛者の多く見受けられる、この異常なまでの『ナルシシズム』は多くの心理学者によって検証されてきた(例・L・オヴィーシー氏、O・F・ケルンバーグ氏)。巨大な不安や混沌が大半の同性愛者達の心を占め、『安定した』制度化された結びつきを薦める立場の意見は、彼らには全く現実感がなく無意味に写る(J・F・ハーヴィー氏:http://www.lifeissues.net/related/homosexuality/har_01churchhomosexuality.html)。

同性愛はまた、性行為における生命の創造という点においても明らかに欠落している。夫婦の性生活で、互いの体を与え、受け入れ合う結果、ひとりではなし得なかったさらに良いことが待っている。ふたりの結合により新しい光が生まれ、それに向かって自分の全てを捧げられる素晴らしいものが。これは、性行為を快楽だけを求める不毛なものに変えてしまわず、愛を次の次元まで進化させるために必要な法則である。

生命の創造に前向きである前提で、夫婦の関係は歴史を刻み、社会を織り上げていく。これに対し同性愛は、過去にも未来にも、どこへも向かっていない。社会の形成や子孫の継承にも貢献していない。時間や社会責任からかけ離れた非現実的な空間の中で『審美的点描画法』を楽しんでいる(A・チャペル氏)にすぎない。同性愛の利点は『精神的実り多さ』だと過度なまでに強調されがちだが、それは友情で充分味わえ、同性愛者も勿論同様である。また、心理学的に見ると、同性愛は葛藤のあまり禁欲状態になることも多いという。実際、臨床経験の豊富な心理学者による、真の友情で結ばれたゲイの男性同士は性行為が伴わない(できない)場合が多いとの分析もある(J・キーフェ氏)。

たとえ個人が一般的モラルから外れた行為をしていたとしても、社会においてその権利が尊重され、法律が個人の思想の次元まで深く入り込まない世の中になったとしても、国家は、一夫一妻による異性間の結婚に基づく家庭の形態を社会の善の基本とし、守り応援しない訳にはいかない。もし政府が根源的理念をなくしてしまったら、健全な社会組織・生命の尊重・新しい世代への適切な教育など次々に失われゆくだろう。社会の調和は勿論、人類の存続にまでかかわる大問題である。


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