「四門出遊で見た病人」病気の苦しみ

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
元 坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
2003年5月掲載
許可を得て複製

端午の節句は薬草採り

五月は鯉のぼり、今の日本の風景だ。鯉のぼりは登竜門の故事「鯉の滝のぼり」に由来する。 霊山の竜門という滝を登った鯉が光輝く龍に変身して天に昇ったという。 端午の節句に鯉のぼりを揚げて子供の成長を願うようになったのは江戸時代からだ。元来は万葉集の額田王の歌「 茜草さす紫野行き標野行き」のように、端(最初)の午の日に菖蒲などの薬草を摘んで健康を願ったのだ。

釈尊が見た病人

人類が科学という共通の批判法を手に入れるまでは、毒物を飲んだ等、 結果が直ぐにでる場合を除いて病気の原因解明は不可能だった。ウイルスの語源はラテン語の「毒」ではあるが、 生まれた時に母親から感染したB型肝炎ウイルスが数十年後に肝硬変や肝臓癌を起こすことなど確かめようがなかった。 お釈迦様の四門出遊伝説にも腹水のような記述があり、 この時お釈迦様が見た病人はB型肝炎による肝臓癌だったのかもしれない。 B型肝炎ウイルスは遙かな昔から人類と共存してきた。現在地球上に約三億人の感染者がいて、 そのうち約二億二千万人がアジア人だ。アジア人の六〜七パーセントにB型肝炎ウイルスが感染している。 そしてB型肝炎による肝硬変や肝臓癌で毎年百万人が死んでいると推定されている。

ウイルスキャリアと肝臓癌

インフルエンザのようなウイルスに感染すると免疫という防御反応が起こる。そのウイルスに対する特別な抗体が作られ、 ウイルスが除去されて病気が治る。 しかし、B型肝炎ウイルスは何の症状も起こさず身体の中に存在し続けることがある。この状態をキャリアといい、 ほとんどが免疫機能の未熟な乳幼児期の感染によって起こる。 このB型肝炎ウイルスキャリアから慢性B型肝炎そして肝硬変や肝臓癌が発症する。

出産時にB型肝炎ウイルスキャリアの母親から子供に感染する。この母子感染が大昔から現在まで続いてきた。 しかし日本では一九八六年から開始されたB型肝炎母子感染防止事業により、それ以後に生まれた人の感染は0.0四% と激減した。近い将来B型肝炎は先ず日本から消滅し、地球規模でもいずれ天然痘のように絶滅するだろう。

しかし、成人のB型肝炎ウイルスウイルスキャリアが現在激減したわけではない。逆に肝臓癌による死亡は現在増えている 。その理由は、医学の進歩によって 肝臓癌以外の肝炎関連死亡、食道静脈瘤破裂や肝不全等による死亡が減ったからだ。また、 現在日本の肝臓癌患者の二割がB型肝炎で七割がC型肝炎由来だ。C型肝炎ウイルスも血液を介して感染するが、 B型肝炎と違って成人でも高率にキャリアとなる。キャリアからの輸血で、昔は沢山の人が黄疸になった。 ライシャワー大使が暴漢に刺され大出血後に輸血を受けてC型肝炎になった。覚醒剤注射、 入れ墨やピアスなどでも感染する。母子感染や性行為での感染はB型肝炎と比べると少ない。 現在C型肝炎ウイルスRNA検査が行われるようになって輸血による感染は極少なくなった。 それでも感染後数日ではウイルスが検出できずに見逃されてしまうのでゼロにはなっていない。

急性B型肝炎から慢性肝炎になることはほとんどないが、急性C型肝炎からは慢性肝炎になりやすい。 C型肝炎ウイルス感染者の約七割が二十年位で慢性肝炎になり、さらに十年位で二割前後が肝硬変や肝臓癌へと進む。 肝臓癌への進行を止めるための手段としてインターフェロン療法があるが、有効なのは三割程度だ。 ウイルス量が少ないと有効率が高い。またC型肝炎ウイルスには五種の型があって日本にはll型とlll型が多いが、 ll型はインターフェロンが効きにくくlll型は効きやすい。ウイルス量が多かったり、 インターフェロン単独で無効だった場合には、抗ウイルス剤レベトールの併用が行われ有効率が増す。 インターフェロンの副作用としてインフルエンザ様の症状が起きる。鬱状態に伴う自殺企図、 間質性肺炎や白血球減少の副作用もある。インターフェロン以外にもC型肝炎の進行を止める手段はある。 肝炎ウイルス感染者には定期的な検査とその結果に基づく適切な治療を受け続けることが勧められる。

毒箭経

このように感染した肝炎ウイルスを抜く科学的な方法は未完成だ。 不幸にして肝臓癌が進行してしまったときには何ができるだろうか。 肝臓癌に対して現在利用できる抗癌剤の有効率は少なく、他にも延命に効果的な方法は無い。前にも書いたが、 民間療法に騙されてはいけない。現代医学で延命不可能であれば、他に良い治療法など無いのだ。 延命不可能でも医学で苦痛緩和ができる。しかし、医学では緩和できない苦痛がある。それは「死ぬという苦」であり、 これこそが、 お釈迦様が問題にした仏教のテーマだ。その解決策が仏教なのだから、死の臨床の場に仏教僧侶不在の現状は情け無い。 毒箭経が示すように、お釈迦様は苦の滅尽に導かないことには沈黙された。仏教僧侶には、苦しむ人の近くに行く、 すなわち方便が期待されている。

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